舞台刀剣乱舞 悲伝 結いの目の不如帰 感想2

舞台刀剣乱舞 悲伝 結いの目の不如帰

 

最初に明治座で見たときは、三日月の目的は?何のためにどうしたいのか?ってのが理解出来なくてぐるぐるしたけど、京都で観劇して私的な結論は出た。以下ネタバレ含みます。

<京都での観劇直後に、忘れないうちに。って書いたものの後に→で日本青年館と銀河劇場での観劇後の感想も含みます。なんだかんだで結局ぐるぐるしてます。>

京都観劇の際に、さっぱり分からんよ・・・と思っていた私がふと腑に落ちて涙が止まらなくなった直後の感想。

あんまり深く考えずに、言っているセリフをそのまま素直に受け止めてみた。というより色々思いとか感情が伝わってきて、その感情を受け止めるしかできなかったのかもしれない。裏読みとか細かく何故?とかは考えずに。ま、基本的な情報の整理ができていたうえで、京都の時には全体を見えつつそれぞれの表情とかもすごくよく見えたので感情がそのまま伝わってきたんだとも思う。


三日月が、「未来を繋げたいのだ。」って言ってるから多分繋がってないんだと思う。刀剣が。なのか、人類が。なのか全ての生物が。なのかは分からないけど全ての生きとし生けるものがいなくなった世界というか次元が、最後に山姥切がたどり着いた所で最果てなんだと予想。
だから生き物の気配はなく、海の音だけが聞こえる。
あの音聞くとRPGとかの人類滅亡した世界に飛ばされて浜辺で倒れている主人公思い出してた。

刀身をなぞりながら、山姥切ならこの行く末の翳りを光で照らしてくれると思う。的なこと言ってるから、このまま進むと未来はないよ。だから山姥切に先を照らして欲しい。って言ってんじゃないのかな。日本青年館からは、煤けた太陽よ。ってセリフが増えてた。
円環の中でそのままぐるぐるすると最果てに辿り着いてしまうから、それを打破するために円環から抜け出したい。その為に色々したけど今のところ歴史は変わってない。だから三日月は未来を変える為に円環を抜け出したいから、ある意味では歴史修正主義者。
刀解されて、また顕現だとタイムリープしてるので、むしろ山姥切折られたいのでは?山姥切におられる事で刀解を免れて円環から抜け出せる。的な。

タイムワープじゃなくてタイムリープ、というかタイムループ。つまり体はそのままで精神だけが繰り返している状態。なので私的には最後の三日月の顕現はあの本丸の三日月宗近で、今まで見てきた刀ステの内容を覚えているループしてきた三日月って思うかな。

山姥切が見せられている歴史が、義経と弁慶あたりから太平洋戦争を経て最後が原爆かな。って感じだったので最初はそこで歴史が途絶えたのかと思ったんだけど、審神者がいる2205年までは続いてないと刀剣男子も出てこないから、あの光は原爆ではなくて2205年より先の第三次世界大戦的なイメージではなかろうか。その先が色々なものが途絶えてしまった円環の果て。って感じる。

三日月が「我々刀剣は、人の心を運ぶ歴史のよすがかもしれんな」って前に言っていて、よすが=拠り所?って感じだから、刀剣が歴史のよすが=刀剣が歴史の拠り所。  「伊達の刀にもお主にも託された心があり、それが巡り巡って繋がっていくのだ。」ってことは託された心がないと繋がっていかないのかも。  あとは、「モノが語る故、物語。」逆説的に言えば物語はモノが語らなければ成り立たない。もしくは残っていかない。

最果ては心を託された刀剣がなく、刀剣の語る物語がない。すなわち歴史の拠り所がないため虚無の世界みたいになって未来が繋がってないんじゃないのかな。

京都観劇直後は三日月はある意味歴史修正主義者。って思ったけど、やっぱりそれはそぐわない。あまたの時間軸で歴史修正主義者は歴史を変えようとし、刀剣男子はそれを阻止しようとしているけど、いまだ確たる歴史改変はなされていない。自分たちのしていることは徒労ではないか。といいつつ、歴史は結果の上に成り立っている。とも言っている。刀剣が歴史のよすがなのであれば、歴史とは確定したものではなく、刀剣が想いを託されて繋いでいって形作られるもの。想いを託される刀剣が増える。もしくは刀剣に託される思いが増える。と刀剣が語る物語が形作られ、それが歴史となっていって未来に繋がる。なので三日月は歴史修正主義者ではなくて歴史をつないでいこうとしている。って印象。

歴史を守る。ってのは今ある歴史を守る。ってのもあるけど、未来を繋げていって歴史をつなげていく。という意味での守る。ってのもあるんじゃないのかな。一つの刀剣に託された想いが一本の歴史の糸を作って、その歴史の糸が何本もより合わさって太い確固とした史実的な歴史になっていく。みたいな。

まぁここまでくるとかなり妄想入ってくるけど自分的にはしっくりくる。ひとまず三日月に関する色々はこの辺で自分的には落ち着いた感じ。それでもぐるぐるしてるけど。

 

色々な疑問点。
鵺は具体的にはどの刀剣が寄り集まったもの?時間軸は同じ?違う?
少なくとも足利にあった刀剣で義輝の最後に側にあった刀が中心かな。そこに血が吸われて鵺の刀が出来上がった的な。
実践練習的にしている時に、切れた!って喜んでるから、実際切れたのと血を吸収することによって強くなれる的な想像してた。
途中で三日月の笑い、セリフ、殺陣が入ってくるのは?
刀が何本か寄り集まってできたものが鵺なんだろうけど、最初の顕現の後は、義輝の刀に込められた想いもしくは義輝の刀が義輝に込めた想いが鵺に集まってできていったのかな。と。三日月の義輝を守りたい。って想いが鵺に託されることによって鵺のなかに三日月の想いも入っていった感じ。


三日月がループしているとして、蘭丸とか義輝もループしてる?そうすると他の刀剣男子も同時にループしてないとおかしい。
ループしているのは三日月だけで、三日月と接触したりとか何かのきっかけで三日月の記憶が脳裏に蘇る?
義伝での関ヶ原の円環はみんなもループしてる。三日月だけが耐性?があって気付けた。一度気付くとその後は気付く?ループは精神だけだけど、肉体の状況も前と全く同じという訳ではない。ループした時に最初はいなかった貞ちゃんが後では一緒だから。

→心だけみんなループしている。基本は前のことは忘れているけど時たま思い出すこともある印象?はっきりした結論は出てないけど、まぁ支障ない気もする。


時鳥、名前を付けられたら喋れる。自我が確立したのかな。口上の明鏡止水の刀なり。の意味は?
三日月はどんな刀?
深く美しい刀:山姥切、ただそこにあるだけで美しかった:大般若

三日月と時鳥が一緒?

時鳥は名前を与えられたことにより、義輝の想いを託されて一つの歴史の糸になったのかもしれないな。と思った。明鏡止水は邪念がなく澄み切って落ち着いた心の形容。だから、もともとは色々な心が内在して絡まり合っていたのが、義輝から想いを託されて一つの心になって明鏡止水の刀になったのかな。最初の時は三日月を形容する、深く美しい刀。と鵺の明鏡止水の刀。が言葉の印象が同じで、何か関係があるのかな?と思っていたんだけど、今は鵺が想いを託されて刀として確立して明鏡止水の刀。になったんであって、三日月の形容とは特に関係ないかな。と思ってる。

 

メモ

最果てで三日月と山姥切が戦っているところで、鍔迫り合いの時に視線をあわせて、山姥切が泣きそうに三日月をみてそのあと三日月が首を振っているのが結構辛くなる。

燭台切の最後の出陣の儀の口上の口調が今までと違うのが胸に来る。

EDの歌の際に三日月だけが全く歌ってなかったのがすごく泣けた。なんで歌ってないとかは理解できてないけど、京都公演で一番大泣きしていたのはEDでの歌わない三日月を見たときだった。(それまでの観劇はEDとかはほぼ歌仙さん定点だったので気づいてなかった)

 

最終的には刀とは何ぞや?

って子烏丸さまみたいに思って終わりました。